スペイン巡礼の道 歩く編4

スペイン 巡礼の道を歩く 4
(ラバナル・デル・カミーノ~
サンティアゴ・デ・コンポステーラ)

 
 2019年秋、”スペイン巡礼の道を歩く”第4弾!
いよいよ、全長800キロの巡礼路を踏破。
目的地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで、
ギターを弾きながらの旅。

 

1日目 マドリードへ(機中)

 10月17日17:15分、成田空港から
キャセイ・パシフィック航空機に搭乗する。
トランジットは香港、
そしてスペインのバラハス空港(マドリード)に
翌朝8:50分に到着予定。
巡礼のリスタート地点、
ラバナル・デル・カミーノまでは バラハス空港から、
高速バスでアストルガまで行き、
さらにローカルバスかタクシーに
乗らなくてはならない。
(バラハス~アストルガ間330キロ、
アストルガ~ラバナル間20キロ)
飛行機の映画コンテンツはなかなか、
充実していたが、 以前にも見ていたクイーンの
映画「ボヘミアン・ラプソディ」をまた
2回も見てしまった。 スペインは遠い・・・。


2日目 ラバナル・デル・カミーノへ


バラハス空港

 バラハス空港到着予定は8:50分でしたが、
1時間ほど遅れてしまった。
おかげで、ちょうどタイミングがいいと考えていた
10時発のアストルガ行のバスは逃してしまい、
次の便の13:45分まで待たなくてはならない。
まあ、バラハス空港で時間をつぶすのは、
いつものことだ。
カフェに行って、これもいつもの行動パターン。
迷わず、生ハムのボカディージョ
(スペイン風サンドイッチ)と
カフェ・コン・レチェを注文。
これで、スペインに降り立った実感が、
力強く湧いてくるのだ。
13:45分、アルサ社のバス(38ユーロ)は
定刻通り出発。 曇り空だったが、走っているうちに
青空の面積も増してきた。
アストルガまでは330キロもある、
到着は18時過ぎ。
バスはあきらめ、タクシーに乗り、
行先をラバナルと告げた。
(料金は乗る前に交渉し、25ユーロ)
19時、日本を出発してから34時間・・・、
やっと今回の旅の大切な地にたどり着いた。
前回の巡礼の終着地、
つまり今回の再開の場所、 ラバナル・デル・カミーノ。


アルベルゲ・ピラール

 去年、巡礼最後の夜を過ごした
アルベルゲ(巡礼者用宿泊施設)、
「ピラール」のベットは空いていた。
クレデンシャル(巡礼手帳)と
パスポートを提示し受付をすませ、
人種の坩堝である寝室のベットに
寝袋をセッティング。

そして、シャワールームへと。
長時間の移動で疲れたので夕食は、
アルベルゲに併設されたバルで簡単にすませ、
ワインを少し飲んで眠った。

 イエスは”最後の晩餐”で弟子たちの前、
パンを取り「これがわたしのからだである」といい、
杯を取り「これがわたしの血である」と、言った。
血であるから、たぶんその杯には
赤ワインが注がれていたのだろう。
それと関係があるのかわからないが、
ここスペイン巡礼路を歩きながら、
バルやレストランに入って、
ワインを注文したら、白か?赤か?などの
問いは皆無だ。
巡礼者用メニュー(格安コース料理)なるものを
頼んでもハーフボトル以上はあろうかという
デキャンタになみなみと入った赤ワインが
有無をいわせず、各自に運ばれてくることになる。
素晴らしい国だ・・・。

 

3日目 モリナセカへ

 
 6時に起きて、身支度し、7時。
いよいよ巡礼を再開できる喜びを胸に抱きつつ、
アルベルゲの扉を開けたら、
弱い雨が降り出した。
天気予報を見たら、1日中雨マークだったので、
バックパックと、バックパックに
くくりつけたギターにそれぞれ、
レインカバーを装着。
そして深呼吸、気を取り直して、
メセタ(乾燥大地)を濡らす雨の中へと、
その一歩を踏み出した。
ラバナル・デル・カミーノは標高1.150m。
ここからイラゴ峠を10キロ登り、
1.515m地点にある
この巡礼路で最も高いとされる
鉄の十字架(Cruz Ferro)を目指す。
その後、急な下りを15キロ歩き
今日の目的地である
標高590mのモリナセカへ。
雨は止むことはなく、時折強くなり、
森は霧に包まれていた。
9時にフォンセバドンのバルで朝食をとり、
10:30分、鉄の十字架までやってきた。

鉄の十字架

 ここからは、ひたすら下り坂。
アセボという町で13:30分、
パエリアとビールの昼食をとるが、
雨は一向にやむ気配がない。
モリナセカへの山道はほとんど、
ちょっとした渓流下りみたいなものだった。
トレッキングシューズはずっと水に浸ったまま。

 モリナセカに到着したのは17時。
「ペレグリノス・コンポステル」という
アルベルゲにチェックイン。
(11ユーロ) シャワーを浴び、洗濯をしようと
洗濯機と乾燥機の置いてある
2階の小さなサロンに行くと、
使用中だったので、ギターを弾きながら
空くのを待つことにした。
サロンには、ぼくの他にも巡礼者が数名、
くつろいでいた。
彼らの迷惑になってはいけない。
そんな時は、BGMのように静かに
バッハやルネサンス音楽を
演奏することにしている。


 なぜ、4年連続でスペインを
歩くという酔狂なことをやっているか・・・。
それは、涙が溢れてくるほどの
美しい情景の数々に出会えるから。
果てしない葡萄畑とオリーブの木々、
朝焼けと鳥の声、
牧場から風にのって聞こえてくるカウベルの音、
秋の深い森のどんぐりと栗の
敷き詰められた小径、
ヨーロッパの西の果ての
澄んだ空気と高い青空、etc。
これらの感動は、
やはり歩く速度でなくては体感できない、
という思いにも至りました。
そして、歩くもう一つの大きな理由。
・・・美しい心を持った、
多くの巡礼者と出会えるから。
境遇も、年齢も、性別も、
国籍もここでは関係ありません。
自分よりも他者を大切にするという人々が
旅する道。
旅人たちは、時に、険しい山を越え、
冷たい雨にうたれ、 それぞれの様々な
身体への負荷と格闘しながら、
同じゴールに向かって、
愚直なまでにひたすら歩く、歩く・・・。
すると、信じられないような、
あたたかなコミュニティが
自然に形成されていくのです。
それは奇跡といっていい!
最初の巡礼でも、
そんなコミュニティを構成する
一人にいつの間にか自分もなっていたのに、
とても驚いた。
ぼくの知らなかった世界。
・・・今回の巡礼の旅でも、
素晴らしいコミュニティができた。
思い返せば、この日のアルベルゲでの
出会いがすべての始まりだった。

 洗濯機の空くのを待ちながら、
ぼくがギターをつま弾いているのを
聴いていたのが、リタイア世代の
ブラジル人夫婦(パウロさんとリンダシさん)と
30代のコロンビア人夫婦(ファビオとアンドレア)。
ぼくは、ブラジル音楽が大好きだから、
パウロさんとリンダシさんのために、
ショーロを弾いてあげた。
ギターを持って旅している人間は珍しい。
(少なくとも今回の旅では一人も見かけなかった)
彼らはとても喜んでくれて、
ファビオ&アンドレアとも仲良くなった。
それ以来、この4人とは、
目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、
ほぼ毎日同じアルベルゲに
泊まって親交を深めることになった。
みんな、とても優しく、
他者との距離のとり方も心得ているから、
日中は、それぞれ自由なペースで歩き、
夕方になると 約束していたアルベルゲで
落ち合うといった感じ。
そして、旅の仲間は日を追うごとに
ふくらんでいった・・・。

4日目 カカベロスへ

 初日は一日中雨の上、
激しい高低差と悪路の連続だった。
今回の旅の出発地は
カスティーリャ・イ・レオン州。
やがて、ガリシア州に入って
ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラに
辿り着くことになる。
ガリシア州は他の州に比べて、
降水量が多いと聞いていたので、
覚悟していたが、結果からいうと、
初日と最終日以外は、本当に連日、
天候に恵まれた。
特に初日がハードだった分、
目に映る青空の遠景と、
ただ健康に歩けるというだけで、
とても幸せなことに思える。

" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen" data-mce-fragment="1">
雨にうたれる日

 モリナセカに到着したのは17時。
「ペレグリノス・コンポステル」という
アルベルゲにチェックイン。
(11ユーロ) シャワーを浴び、洗濯をしようと
洗濯機と乾燥機の置いてある
2階の小さなサロンに行くと、
使用中だったので、ギターを弾きながら
空くのを待つことにした。
サロンには、ぼくの他にも巡礼者が数名、
くつろいでいた。
彼らの迷惑になってはいけない。
そんな時は、BGMのように静かに
バッハやルネサンス音楽を
演奏することにしている。



 なぜ、4年連続でスペインを
歩くという酔狂なことをやっているか・・・。
それは、涙が溢れてくるほどの
美しい情景の数々に出会えるから。
果てしない葡萄畑とオリーブの木々、
朝焼けと鳥の声、
牧場から風にのって聞こえてくるカウベルの音、
秋の深い森のどんぐりと栗の
敷き詰められた小径、
ヨーロッパの西の果ての
澄んだ空気と高い青空、etc。
これらの感動は、
やはり歩く速度でなくては体感できない、
という思いにも至りました。
そして、歩くもう一つの大きな理由。
・・・美しい心を持った、
多くの巡礼者と出会えるから。
境遇も、年齢も、性別も、
国籍もここでは関係ありません。
自分よりも他者を大切にするという人々が
旅する道。
旅人たちは、時に、険しい山を越え、
冷たい雨にうたれ、 それぞれの様々な
身体への負荷と格闘しながら、
同じゴールに向かって、
愚直なまでにひたすら歩く、歩く・・・。
すると、信じられないような、
あたたかなコミュニティが
自然に形成されていくのです。
それは奇跡といっていい!
最初の巡礼でも、
そんなコミュニティを構成する
一人にいつの間にか自分もなっていたのに、
とても驚いた。
ぼくの知らなかった世界。
・・・今回の巡礼の旅でも、
素晴らしいコミュニティができた。
思い返せば、この日のアルベルゲでの
出会いがすべての始まりだった。

 洗濯機の空くのを待ちながら、
ぼくがギターをつま弾いているのを
聴いていたのが、リタイア世代の
ブラジル人夫婦(パウロさんとリンダシさん)と
30代のコロンビア人夫婦(ファビオとアンドレア)。
ぼくは、ブラジル音楽が大好きだから、
パウロさんとリンダシさんのために、
ショーロを弾いてあげた。
ギターを持って旅している人間は珍しい。
(少なくとも今回の旅では一人も見かけなかった)
彼らはとても喜んでくれて、
ファビオ&アンドレアとも仲良くなった。
それ以来、この4人とは、
目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、
ほぼ毎日同じアルベルゲに
泊まって親交を深めることになった。
みんな、とても優しく、
他者との距離のとり方も心得ているから、
日中は、それぞれ自由なペースで歩き、
夕方になると 約束していたアルベルゲで
落ち合うといった感じ。
そして、旅の仲間は日を追うごとに
ふくらんでいった・・・。

4日目 カカベロスへ


 初日は一日中雨の上、
激しい高低差と悪路の連続だった。
今回の旅の出発地は
カスティーリャ・イ・レオン州。
やがて、ガリシア州に入って
ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラに
辿り着くことになる。
ガリシア州は他の州に比べて、
降水量が多いと聞いていたので、
覚悟していたが、結果からいうと、
初日と最終日以外は、本当に連日、
天候に恵まれた。
特に初日がハードだった分、
目に映る青空の遠景と、
ただ健康に歩けるというだけで、
とても幸せなことに思える。  

 羊も歩く

 7時半に出発、 2時間歩いてポンフェラーダに到着。
ポンフェラーダはローマ時代から 続く歴史ある町。
1178年にレオン王国フェルナンド2世の
命によりテンプル騎士団がこの地を
防衛するため城が建てられた。
テンプル騎士団とは中世ヨーロッパで
活躍した騎士修道会のこと。
その起源は1096年の
第1回十字軍の終了後、
ヨーロッパ人によって
エルサレムへの巡礼に向かう人々を
保護するためだったそうだ。

ポンフェラーダ

 24キロ歩いて、
今日の目的地・カカベロスに15:30分到着。
「ラ・ガジェガ」というアルベルゲに
10ユーロでチェックイン。
この日までは、これまで知り合った巡礼者と
事前に次に行くアルベルゲを一緒にしよう、
などという考えはなかったのだが・・・。
アルベルゲのオーナーに案内されて、
2階の小さな4人部屋に入ってみたら、
昨日も同じ宿だった、コロンビア人夫婦の
ファビオ&アンドレアとバッタリ!
打ち合わせもなく、小さな町の
小さなアルベルゲの
小さな部屋で2日連続で会うなんて。
これだけでも、ついつい昔からの
友だちのようなハグに なってしまうんですね。
2人とも、とても優しい。
ファビオは世話焼きで、 人と人を繋ぐのがうまく、
アンドレアは、明るい自由人と いった感じだが、
バランスのとれた仲睦まじいカップル。
ぼくのヘタなスペイン語にも
根気強く付き合ってくれ、
それからというもの、ゴールのサンティアゴまで
実に多くの時間を一緒に過ごした。

 

5日目 ベガ・デ・バルカルセへ


 スペインは今、まさに実りの秋。
高い青空を背景に、
葡萄畑が緩やかな丘陵地帯に広がる。
巡礼路の脇の木には、
食べごろのイチジクの実が
食べきれないほど、風にゆれている。
森を行けば、枯葉の小径に、
どんぐりや栗が敷き詰められていて、
それらを、踏まずに歩くのは難しい。
つややかに光り、
ふくよかで完璧ともいえるフォルムをもった
栗の実が足元に落ちていたら、ぼくは思わず
手をのばし、拾ってしまう。
いや、栗の実が拾ってくれと、
ぼくに語りかけてくるのだ。
はじめは、ジャケットやジーンズの
ポケットに入れていたが
それらは、やがてそこには、
収まりきらなくなるので、
スーパーのレジ袋に入れなおす。
そして、大量に集めた栗をアルベルゲの
キッチンで茹でて食べる。
子どもの時以来の栗拾い・・・。
正直、栗に対する思い入れなどは、
ありませんでしたが
スペインで食べたそれには感動。
栗とはこんなにも美しく、
美味しいものだったのかと
再認識させられました。

牛のいるアルベルゲ

 フラットな道が続き、
天気も申し分ない今日は
26キロ歩いて15:30分、
ベガ・デ・バルカルセの「エル・パソ」という
アルベルゲにチェックイン。(12ユーロ)
山間にある風光明媚な小さな町。
最高のロケーションにあるアルベルゲで
外観もアルベルゲというより、ホテルだ。
敷地内には数頭、牛が放牧されていて、
心癒される。
オーナーのラロさん、マリアさん夫妻も
とても明るくフレンドリーで、
間違いなく今までの中でも
トップクラスのアルベルゲ。
ぼくが、チェックインすると、
すでにファビオ&アンドレアが
そこにいて、スーパーに買い物に行こうと、
外に出たらパウロ&リンダシが、
夕陽を背に、向こうからやってきた。
今、この町に到着したよう。
これで、今夜もみんな同じアルベルゲに勢ぞろい。

 スペイン人とセッション

 小さなスーパーに行くと生肉の
塊が売っていたので、
豚肉を数枚カットしてもらい、
野菜、ワインを購入。
そして、アルベルゲのキッチンで
豚肉を焼き、サラダをつくった。
この日はスペイン人、韓国人、
ブラジル人、コロンビア人などがいて、
料理をシェアしたりと食堂は
賑やかなものだった。
食事が一段落つくと、アンドレアが
ぼくにギターを弾けというので、
そこからは、ちょっとした音楽会。
スペイン人とは
フラメンコの曲種・ブレリアスをやり、
韓国人とは韓国民謡のアリランを歌った。

韓国人とセッション


6日目 リナレスへ

 今日は過酷な峠を登る日。
出発地のベガ・デ・バルカルセは標高630m、
そしてその12キロ先に、
標高1330mのオ・セブレイロがある。
地形図を見ても、なかなかの急勾配だ。
毎日20キロ以上は歩くが、今日はとりあえず、
オ・セブレイロまで行ってみて、
そこからは体力と相談して
行先を考えよう。

 秋のスペインの夜明けは遅く、
朝8時半を過ぎるまでは、
あたりは闇につつまれている。
この旅は山の中を、夜明け前から歩くということも
少なくない。
そこに、わずかばかりの
街灯、民家の灯りでもあればいいのですが・・・。
よく、しばらく暗闇の中にいれば、目がなれて
まわりの状況がわかってくるといいますが、
本当の暗闇では、いつまでたっても
目がなれることはない。
この日は、アルベルゲを
7時前に出発してから
次の小さな村まで2キロ、そんな状態が続いた。
しかも、霧が深いため、
ヘッドライトを点けていても、
照らせるのは足元の先2~3メートルくらい。
自分の前後にも他の巡礼者は見当たらず、
2キロ先に、村があるとわかっていても、
これはかなり心細いものです。
例えば、風邪をひいて
両の鼻がつまった状態で
食事をすると、味がわからなくなるように、
視覚を奪われると、人間というのは

今、坂を登っているのか、下っているのかも
よくわからなくなってしまうものだと知りました。

やがて、夜は明け

 2時間近く歩いて、
太陽が山の稜線を照らし始め、
後方を振り返った時、ようやく自分が、
ここまで登山してきたことに気づく。
一刻一刻と、変化する光の強度は森を
目覚めさせ、その光景の美しさに
思わず足をとめて、見いってしまう。
出発から6.5キロ、9時半に、ラ・ファバと
いう村のバルで休憩。
スーモ・デ・ナランハ(オレンジジュース)を飲む。
途中、2つの村を通過しましたが、
そこにバルは見当たらなかった。
休憩後、さらに増す急勾配の森を進んでいると
ガリシア州を示す石標があらわれた。
この巡礼路でもっとも長かった
カスティーリャ・イ・レオン州を
越え、とうとう最後の州、ガリシアに入る。

ガリシア州の石標

 12時半にオ・セブレイロに到着し、
バルで豚のグリル、サラダ、
ガリシア風スープの昼食をとる。
これで、今回の巡礼で最も急峻な
峠(セブレイロ峠)をクリアした。
オ・セブレイロからは、しばらく、
ゆるやかな下り坂が続くので、
さらに、のんびり3キロほど歩いて、
15時半にリナレスという小さな町の
アルベルゲにチェックイン。
新しく、とても綺麗なアルベルゲ、
「リナル・ド・レイ」は10ユーロ。
この日は、これまで知り合いになった
巡礼者はいなかったが、
吹き抜けで天井の高いサロンで静かに
ギターを弾いた。
くつろぐ他の巡礼者も数人いたので、
邪魔にならないように
バッハやピアソラを・・・。

 100軒のアルベルゲがあれば、
100通りのアルベルゲがある。
宿泊者のベットルームのパーティションも様々。
ここは4~6人部屋が、数室の他、
2人用の個室タイプもあった。
もちろん、個室タイプの方が少し割高になりますが、
旅に疲れてプライベートな空間が
欲しくなった時にはいいでしょう。
ぼくが、演奏を終え、傍らにギターを立てかけ
窓からの夕暮れをぼんやり眺めていたら、
近くにあった個室の扉から、
イギリスの老紳士が出てきて、
ぼくに話しかけてきた。
ギターが迷惑だったかもしれないな、
と思っていたら
どうもその逆で、ギターの音色が彼の部屋に
適度な音量で流れ込んでいたようで、
癒された・・・とのこと。
お礼の言葉をいただいた。
かなり気をつかって、
小さい音で弾いたつもりでしたが、
天井の高さや、壁や床の反響も手伝って
小さなトラベルギターは
なかなか美しいアンビエント・ミュージックを
奏でてくれたようだ。

 

7日目 トリアカステーラへ


サン・ロケ峠

 今日の出発地は峠のほぼ頂上地点。
朝、目覚めると霧が深く、
風も強いので様子を見ながら、いつもより、
少し遅い8時半にアルベルゲを後にする。
2キロほど歩くと、サン・ロケ峠の
巡礼者像があった。
もともと、風が強い場所なのだろう。
像も風で帽子が飛ばされないように、
手でおさえている。
小さな村をいくつか経由しながら、
徐々に標高が低くなってくると、
霧は薄れ、雲の隙間から青空が見えてきた。
放牧された高原の牛たちに
朝の挨拶をしながら歩く。

 4年連続、スペイン分割巡礼の旅で、
毎年、ぼくの目を楽しませてくれた
小さな花がある。
1年目の初日のピレネー山脈越えから、
よく見かけ、気になっていた。
それは紫色で、まだ蕾の状態のものが多く、
ぽつんと一人で、
またはささやかな仲間たちと登山道の脇に
ひっそりと佇んでいた。
やや面長な蕾は、クロッカスに間違いない。
クロッカスの品種は80種類もあるらしく、
その中にサフランというのがある。

 ぼくの大好きなスペイン料理の1つに
パエリアがある。
平たい鉄鍋で作るスペイン風炊き込みご飯。
ぼくも、家でたまに、
魚介類をたくさん入れて作ったりします。
(異なる大きさのパエリア鍋を2つも持っている)
このパエリアに欠かせないのが香辛料・サフラン。
米を鮮やかな黄色に染め、
香りも他に例えるものがないほどの
個性を持っている。
サフランがなくては、パエリアではない!
サフランの歴史は長く、3千年以上、
香辛料、染料、医薬として
扱われてきた。
香辛料として使われるのは、
花の部分でもわずかしかない、
めしべだけを乾燥させたもの。
なんと、1グラムのサフラン(香辛料)を
とるには160個ほどの花を
必要とするので、とても高価です。
この巡礼路でよく見かける
クロッカス属の多年草は
はたして、サフランなのか?
サフランの特徴を調べてみると、
秋に咲き、花が紫色の1色のみということらしい。
足元に続く、この可憐なものたちは、
サフランに違いない。
ぼくはその可憐さに心奪われながらも、
胃袋を満たすパエリアのことで、
頭がいっぱいになりもする・・・。

サフランの花

この日はほぼ下り坂をいく日だった。
18キロほど歩いて、14時半、
トリアカステーラの「アトリオ」という
アルベルゲに9ユーロでチェックイン。

 

8日目 サリアへ

 スペイン巡礼旅の喜びは、たくさんあります。
巡礼者同士の交流、美味しい料理にワイン、
大自然に懐かれること・・・etc。
いろんな動物たちとの出会いも、
またスペインならではで楽しい。
牛、羊、馬、ロバ、ヤギ、犬、猫。
容姿もそれぞれ個性的で、豊かな自然の中、
みな健康的で美しく、そして人懐こい。
ある村の路地で見かけたニワトリたち。
実にいろんなタイプがいて、
ついついカメラを回してしまった。

 

 薄曇りの朝。8:00にアルベルゲを出発する。
今日は、ほぼフラットな22キロ、サリアを目指す。
ガリシア州を歩いていると、他の州にはなかった、
寄付制の休憩所を時々、見かける。
民家の軒先みたいなところにテーブルがあり、
その上に果物や、手作り菓子や、茹で卵や、
飲み物が置かれている。
なかなかの品揃えで、
温かいスープなんかもごちそうしてくれる
ところが、ありました。
巡礼者は決まった額を払うわけではなく、
それぞれの心づけを寄付箱に入れる。

寄付制の休憩所

 11:45、サモスという村で昼食をとり、
15:00にサリアに到着し、「マヨール」という
アルベルゲにチェックイン。(10ユーロ)
シャワーを浴びて、さっぱりしてから
近くの大型スーパーに買い出しに行く。
魚屋に新鮮な殻付きムール貝が
山積みになっていたので
ぼくにとっては買わないという選択肢はなく、
多めに量り売りしてもらった。
(共同キッチンだから、食べきれなければ、
シェアすればいい)
肉屋には、日本のスーパーでは、
あまりお目にかかれない
七面鳥の肉というのがあり、
面白そうなので買ってみた。
あとは、ニンニク、サラダにする野菜と
ワインを購入。
アルベルゲに帰って、ムール貝をワイン蒸にし、
七面鳥をフライパンで焼く。
ワイントと共に食すムール貝は完璧だ。
そして、七面鳥の野趣あふれる弾力と味にも感動。

七面鳥を焼いた

 アルベルゲのキッチン事情も様々。
ガスコンロがあるとベストですが、
圧倒的に今の時代は
安全やコスト面から、IHコンロが主流のようです。
また、IHコンロがあれば、まだいい方で、
電子レンジしかないアルベルゲだと、
料理らしいことができない。
ぼくは、昼はバルやレストランで
食事をするのが常なので、
夜はアルベルゲに調理設備があるなら、
自分で食材を調達し、
自分で調理したいのです。
塩、胡椒、オイルくらいの調味料は
だいたいどこのアルベルゲにも置いてあって、
その他、巡礼者が使い切れずに
放置していった怪しげスパイスが、ちらほら。
魚介料理にしても、肉を焼くにも
塩、胡椒だけでは、どうもパンチがないので
ニンニクは欠かさないことにしている。
野菜売り場で、ニンニクを丸ごと購入しておいて
毎晩その1かけ、2かけを
消費しながら旅をするといった塩梅。
逆にいえば、旅のような
不自由な環境下においては
とりあえず、塩、胡椒、ニンニク、
オイルがあれば
多くの料理を成立させることができる。

9日目 ポルトマリンへ

 素晴らしい青空の日。
8:00に出発するが、とうとうこの日は、
目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで
100キロを切ることになる。
思い起こせば、3年前、フランスの
サンジャン・ピエド・ポルから始まった
分割巡礼の旅・・・。
毎年、2週間かけてスペインに来て、
200キロづつ歩いてきた。
全行程800キロは遠い。
でも、もうそれも、
100キロを切ってしまうとなると、
喜びよりも、むしろ寂しい気持ちの方が大きい。

 サンティアゴまで100キロを切って

 今日の道程は22キロ。
ゆるやかな登りの後、ゆるやかな下り。
そして、ポルトマリン手前の森を抜けるには
さらに、急な下り坂が待っている。
毎日、休憩はこまめに、とるようにしている。
理想をいえば、1時間に1回くらいは
軽くバルで腰をおろしたい。
でも、村はあるのに、
バルがないというのもしばしば。
この日は出発してから3時間近く、
バルがなかった。
途中、3つも村があったのに、落胆が3連続。
12:00、ア・ブレアという町で昼食をとり、
また歩く。
夕方近く、ポルトマリンが近づいてきた。

 ポルトマリンの歴史も古く、
ローマ人がミ―ニョ川の最初の港として
建設したのが、紀元2世紀のころ。
しかし、当時の町は今ではダムの底。
1962年に、ミ―ニョ川に
作られたダムによってできた
ベルサール湖に沈んでしまった。
現在のポルトマリンはミ―ニョ川を
見下ろす丘の上に移築されたものです。
それにしても、ミ―ニョ川にかかる橋は
恐ろしかった。

ほっそい橋の先にポルトマリンが・・・


ムズムズのながーい橋

 何が、この橋を恐ろしく感じさせたか・・・。
高さと距離の規模に対して、幅が狭く、
欄干が低くスカスカなところか。
橋の上から、水面をのぞき込むと、
まさに足がすくむほどの高さがあり、
ちょっと強い風が吹けば、
欄干が低く頼りないこともあって、
飛ばされて、川に落っこちてしまうような
恐怖がある。
橋の中央が車道だから、
もちろん端っこを渡るしかないのですが、
なるべくそろりそろりと、車道寄りの部分を歩く。
ここをクリアしなくては、
ポルトマリンの町中に入ることができない。
今日は22キロ歩き
17:00、「カソナ・デ・ポンテ」という
アルベルゲにチェックイン。(10ユーロ)
シャワーを浴びてから、少し寒かったが、
美しい夕陽を眺めながら、
テラスでギターの練習をした。
夕食は、パウロ夫妻とファビオ夫妻、
そして10日間ほど休暇をとって
サンティアゴまで歩いているという
若いブラジル人女医のイサベラも合流して
イタリアンレストランに行った。
ぼくは豚肉とパスタの
巡礼者メニュー(10ユーロほど)を
注文しましたが、食べきれないほどのヴォリューム。


巡礼者メニュー

 

10日目 パラス・デ・レイへ

 8:00に出発する。
今日は、きつい登りから始まり、
アップダウンの多い日だが、天気は良好。
10:00、ゴンサルで休憩。
12:00にベンタス・デ・ナロンで昼食をとる。
ここからは、登りがないので、
セルベッサ(ビール)も注文。
普段、まったくビールを飲みませんが、
登山して頂上で飲むビールって、
どうしてこんなに美味しんだろう・・・。
眼下に広がるリゴンデ峠に乾杯。

 巡礼の旅を再開してから1週間経過。
毎日、追い抜いたり、追い越されたりの
徒歩旅をしていると
お互いを名前で呼び合う友人も増えてくる。
1度も同じアルベルゲに宿泊していないのに、
道々、不思議なくらい頻繁に遭遇してしまう1人に
スペイン人のフェルナンドがいた。
彼は、荷物をほとんど持たず、
こちらが見ていてもちょっと恥ずかしくなるくらい
彼女とベタベタ、時にはキスしながら
歩いていた。
たしか、はじめはぼくの
バックパックにくくりつけていた
ギターに興味をもって、話しかけてきたと思う。
そして、彼もギターが弾けたので、
楽器を取り出し森の中、
交互に演奏したりしているうちに、仲良くなった。
ぼくが、見たところフェルナンドは
俳優の「アントニオ・バンデラス」に
よく似ていたので、
その印象を彼に伝えた。
すると、彼はとても喜んで、
バンデラスになりきって

ぼくのメモ帳に「アントニオ・バンデラス」と、
サインまでしてくれた。
それ以来、ゴールのサンティアゴまで、
ぼくは彼に会う度、「バンデラスくん!」と
声をかけることになった。

巡礼者・バンデラス?

 25キロ歩いて、パラス・デ・レイに
17時前に到着。
アルベルゲ「オウテイロ」(10ユーロ)に
チェックイン。
夕食は、近くのスーパーで豚肉、野菜、
ワインを買ってきて、
アルベルゲのキッチンで自炊する。
いつものメンバー、パウロ夫妻、
ファビオ夫妻、イサベラは
今日も同じアルベルゲ。
食事をすませて、
サロンでギターを練習していると
やはり、音楽好きやミュージシャンが
話しかけてくる。
ここでは、スペインのイビサ島に住んでいるという
ダニという青年と知り合いになった。
彼はヘヴィメタバンドのドラマーだそうで、
実はぼくもヘヴィメタ好き。
スペイン語でヘヴィメタ話が盛り上がる。
ヘヴィメタミュージシャンとはいえ、
ダニはスペイン人。
ぼくが、フラメンコの
ファルセータ(パターン)を弾くと
パルマ(手拍子)で合わせてくれる。
すると、いつの間にか、韓国人のチンさん、
いつものメンバーも加わって、
宴会になってしまった。
ビートルズやイーグルスなどの伴奏をして
みんなで歌った。

 

11日目 リバディソ・ダ・バイソへ

 8:00出発。曇り空だが時折、青空も現れる。
コーヒーを飲むところをカフェテリアといいますが、
スペインのここ、ガリシア地方ではプルぺリアなる
お店を、たくさん見かける。
スペイン語でタコのことを”プルポ”と言います。
つまり、プルぺリアとはタコ専門の
レストランのこと。
実は、ガリシア地方の名物は、タコ。
今日通過するメリデという街は、
プルぺリアの名店が多い。
何人もの巡礼者、アルベルゲのオーナーから
メリデに立ち寄ったら、
「必ずタコを食べなさい!」と言われていた。

 メリデの手前、
2キロあたりにあるフレロスという村で、
またバンデラス君とその彼女に遭遇。
その村には、美しい石橋があり、
そこをバックに2人で
記念撮影をしたかったようだ。
ぼくは、彼のスマートフォンで、彼らをパチリ。
ーもうすぐ、メリデだね
なんて、話していたら、バンデラス君は
プルぺリアに詳しいらしく、
メリデにあるプルぺリアの老舗の名を2軒、
スラスラっとぼくのメモ帳に書き付けてくれた。
お礼を言って、彼らと別れまた
メリデに向かって、のどかな山間部を歩きだす。
13時にメリデの街に到着、なかなか大きな街だ。
しばらく、賑わいある通りを道なりに進んでいくと、
バンデラス君に教えてもらたった、
1軒のプルぺリア「ガルナチャ」が
見つかった。
店先では、モクモクと湯気を
あげる巨大な寸胴鍋の中で
大量のタコが茹でられている。
そして手慣れた料理人が、
茹でられたそのタコをハサミを使い、
高速で、カットしていく。
この光景を見ているだけで、空腹と期待は倍加。
店に入ると、店内は広いが、巡礼者、
観光客、地元の人で
いっぱい、かなりの人気店のようだ。
席について、タコ、
ピミエント(青唐辛子)の素揚げ、ポテトフライ、
そしてセルベッサ(ビール)を注文。


 茹でたタコに、オリーブオイルと
パプリカを振りかけただけという
シンプルなガリシア名物。
オリーブオイルはフレッシュで、
熱が加えられていないのがいい。
タコももちろん、美味しいですが
そのタコの風味がついたオリーブオイルに
パンを浸して食べるとまた絶品。
少ない素材で勝負するこの料理は
それぞれが上質、そして、
これ以上の組み合わせがないと思わせる。
周りを見渡せば、老若男女、
どのテーブルにもタコ、タコ、タコ・・・。
ぼくは、また1つスペインの食文化の奥深さにふれ、
感動し、慈しむようにタコを噛み続けた。

 25キロ歩いて、
18:00にリバディソ・ダ・バイソに到着。
「ロス・カミナンテス」というアルベルゲに
チェック・イン。(10ユーロ)
石造りの素敵なアルベルゲで、
オーナーのおばちゃんも
とてもフレンドリーで親切。
ぼくが、洗濯をして下着やシャツを
ベット付近に干していたら、
乾燥機のお金を節約してると思ったのだろうか、
”ただでいいから”といって、
ぼくの洗濯ものをワシワシつかんでいって
乾燥機の中に放り入れ、スイッチを押してくれた。
この村は、とても小さく
スーパーらしきものはなかったので、
夕食は近くのレストランで巡礼者用メニューを注文。

 

12日目 オ・ペドロウソへ

 今日の目的地は、最終目的地である
サンティアゴ・デ・コンポステーラ手前の
20キロ地点、オ・ペドロウソだ。
20キロといえば、1日で歩いてしまえる距離。
つまり、巡礼の途上、アルベルゲに泊まるというのは,
おそらく、今夜が最後になる。
7時半に出発、まずまずの天気。

 今まで、4回に分割して全長800キロの
巡礼路を歩いてきましたが、
やはり第1回目の巡礼のインパクトは
なかなか大きかった。
何より、巡礼というものが初めての経験であり、
ピレネー山脈越えの過酷さと、
その過酷さ故に芽生えた
他の巡礼者との交流も印象深かったからだろう。
もちろん、2、3回目も様々な
出会いや感動がありましたが、
ファーストインプレッションを超えるものには
そうそうお目にかかれるものではないと
思っていました。
せっかく、あたたかなコミュニティの
一員になったと思ったら、
自分だけ旅を中断し、
続きは次の年へ持ち越しというのが
分割巡礼の泣き所・・・。
しかし、最終回である今回も、
愛すべき多くの巡礼者との
めぐり逢いから生まれた強固な絆は、
生涯忘れられないほどの想い出となった。

 発音について。
外国語の発音というのは難しい。
以前、韓国の友人とガラスの話になった。
(窓ガラスのガラス)
韓国人の彼女は、ぼくが何度
ラス”と教えても”ラス”としか
発音できなかった。
これでは、空を飛ぶカラスのことになってしまう。
韓国人は、””の発音が苦手だ。
今回の旅では、現地のスペイン人と
スペイン語で会話する他に、
コロンビアやメキシコ、アルゼンチンなどといった
南米のスペイン語圏の旅人とも
話す機会が多かった。
ギターを弾きながら旅をしているので、
目立つせいか、彼らは、
けっこうぼくの名前を覚えてくれた。
可笑しかったのは、
ぼくが最初に自分の名前を”ヒロ”と
教えたのに、彼らの発音は”ヒロ”になってしまう。
なんだか、可愛らしい響きだったので、
訂正はせず、道々、
”ヒロ、ヒロ”と呼ばれる度に
微笑ましい気分になっていた。
そういえば、小学校の時の担任の先生は
ずいぶん訛っていて、ぼくのことを、
ロシ、ロシ”と呼んでいたっけ。
(年配の先生だったが、
どこの地方の人だったんだろう?)
日本語も、難しいのね・・・。

 明日は、とうとう足かけ4年の
スペイン巡礼路800キロの
最終目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに
辿り着く。
ぼくは、サンティアゴに1泊するつもりだが、
仲良くなったファビオ・アンドレア夫妻は
明日の夕方にはマドリード行の列車に
乗らなくてはならない。
今朝、出発前に、落ち合うアルベルゲは
確認しておいた。
今日の目的地、オ・ペドロウソまでは25キロ、
ほぼ平坦な道を行くが、最後にちょっとした
下り坂が待っている。
そのオ・ペドロウソに続く森の坂道を歩いていると、
アンドレアが後ろからぼくを、
颯爽と追い越していった。
そして追越し様に、振り向いて、一言。
ーヒロ、今夜はお祭りよ!
(La Fiesta esta noche!)
ぼくは、思わず、プッと噴き出してしまった。
陽気なアンドレアらしい。
今夜は、この名もなきコミュニティの全員が揃う
最後の夜になるから、
賑やかなことになるだろう・・・。

 15時、オ・ペドロウソの
「クルセイロ・デ・ペドロウソ・オステル」という
アルベルゲにチェックイン。(10ユーロ)
広々としたサロンとキッチンの
ある綺麗なアルベルゲだ。
シャワーを浴びてから、近所のスーパーへ。
牛肉、野菜、パン、赤ワインを買って、
今夜も自炊。
アルベルゲに到着した巡礼者の
時間の過ごし方は夫々。
荷物を整理する人、スマホで情報収集する人、
読書する人、村を散策する人・・・。
17時を過ぎたあたりから、
キッチンに調理する人たちがあらわれ、
徐々にアルベルゲは賑わいだす。
コンロの数は限られているから、
待たされることもあるが、
夜は長いから、のんびりいこう。
夕食を済ませても、なかなか、みんなすぐには
ベットルームには行かない。
この日も、キッチンとサロンの
一続きのスペースには
多国籍な若者たちが10人以上いて、
ビールやワインを飲みながら、
それはたいへん活気溢れるものだった。

 明日の今頃は、最終目的地の
サンティアゴ・デ・コンポステーラだ。
もう、ギターを弾く機会もないだろう。
ぼくは、最後の音楽会のために、
ベットルームに行って、
ギターをケースから取り出し、
サロンに戻ってきた。
そして、ソファに腰掛け、
ギターのチューニングをしていると、
アルベルゲの若い女性スタッフが、
ぼくに話しかけてきた。
ーこのアルベルゲでは楽器演奏は
禁止されています・・・、
とのこと。
これまで、800キロも歩いてきて、
こんなアルベルゲは初めてだ。
音楽は、巡礼者同士の親睦を
深めるのに一役買うので、
むしろギター演奏は歓迎されはしても、
拒否されようなることは、これまで一度もなかった。
もちろん、その日、泊まっている巡礼者がすべて
サロンに集まっているわけではない。
早めに、寝る人もいるから、
アルベルゲ側の配慮もわからなくもない。
う~む、アンドレアも楽しみにしていたようだし、
残念だ。
ファビオにこの事を伝えると、彼は、
ーなんとか演奏させてください

と、アルベルゲのスタッフに必死に頼み込んだ。
すると、ファビオの熱意におされ、スタッフは折れ、
少しの時間ならいい、ということになった。
ありがとう、ファビオくん!
その後は若者たちも、巻き込んで、
「スタンド・バイ・ミー」や
「ヘイ・ジュード」で盛り上がり、
旅の音楽会を締めくる。

 

13日目 サンティアゴ・デ・コンポステーラへ

 朝、目覚めるとあいにくの雨模様。
残すところ、あと20キロ歩けば、足掛け4年の
この旅も幕を閉じる。
いつも、日中は自分のペースで
気ままに歩いてきた。
でも、今日はさすがに最終地の
サンティアゴ・デ・コンポステーラに
みんな一緒にゴールしたいので、
パウロ夫妻、ファビオ夫妻、イサベラたちと
足並みを揃えて、7時に、アルベルゲを出発した。
ゆるやかなアップダウンの道が続く。

雲の切れ間のむこうにサンティアゴが・・・

サンティアゴ・デ・コンポステーラの入口

大聖堂の尖塔が見えてきた

 バルで休憩をとりながらも、
サンティアゴ・デ・コンポステーラが近づいてきた。
いつもなら、もう少しゆっくり歩くのですが、
今日だけは仲間たちとの同時ゴールを目指すので、
早めのペース。
雲の切れ目から青空ものぞいてきた。
5キロ手前には、
”歓喜の丘”(Monte do Gozo)があり、
ここから、サンティアゴの街が小さく見える。
丘にはサンティアゴ大聖堂を
指差す二体の巡礼者像があり、
多くの巡礼者はここで、
残されたラストスパートを胸に、
記念撮影するようだ。

 最後のなだらかな丘陵地帯を下っていくと、
サンティアゴの入口。
レインウェアやポンチョ姿の巡礼者たちが、
吸い込まれていくように
中心地への石畳を進んでいく。
あるものは巡礼の歌”ウルトレーヤ”を
高らかに歌いながら、
あるものは仲間と楽しげに、
あるものは足をひきづりながら・・・。
雨は、やんでいた。
やがて、大聖堂の尖塔が見えてきた。
街中に入り、しばらく歩くと、
尖塔は見えなくなるがそれは、
大聖堂に近づいている証拠。
ちょうど12時、
ヨーロッパの細い路地を抜けていくと、
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の
目の前にあるオブラドイロ広場に出た。
ついに800キロ、
フランスのサンジャン・ピエド・ポルから
自分の足のみでここまでやってきたのだ!
ぼくは、ギターをくくりつけた重たいバックパックを
肩から、おろすことも忘れ、12世紀につくられた
バロック様式のそのファサードを見上げていた。

 

 4回に分割してきたスペイン巡礼の旅800キロ。
その最終の200キロを共に
歩いてきた仲間たちと抱き合い、
到達の喜びを分かち合う。
ほぼ、連日同じアルベルゲでワインを
酌み交わした人もいれば、
道々、不思議なくらい再開し親交を深めた人もいる。
数日間、会わずにいたら、また同じアルベルゲで
ばったりなんてこともしばしば。
毎日、歩くことによって生まれ変わるような
素晴らしい体験だった。


巡礼証明書

 大聖堂の前にあるパラドールの脇にある
階段を下り、サンティアゴの巡礼事務所に
向かう。
巡礼者が列をつくっていたが、待ち時間は15分ほど。
巡礼を終えたことを伝え、
最後に”巡礼証明書”を発行してもらう。


巡礼事務所


「数日前、あそこのアルベルゲであなたのギターを聴いたわ」と
話しかけられ


サンティアゴのミサでチンさんと再開